smalogue

SMAPについてのあれこれを好きに書いたりするところ。

SMAPがたいせつだということ

SMAPがなくなってしまうなんて、考えたことなかった。
年齢や時代の、のっぴきならない事情ならばまだしも。
SMAPを差し置いたまわりの人たちのもめごとのせいで、なくなってしまうかもしれないなんて。

わたしにとってSMAPは、小学生時代からずうっとあって当たり前の存在だった。
同年代の男子よりも、女子はおませさんだとよく言うけれど、たしかにそうだったわたしは、漫画やアニメに夢中になっている男子を横目に、アイドル誌を手に取った。
初めて買ったアイドル誌は、ともだちとキャーキャー言いながら眺めたことを覚えている。
SMAPは、その頃からいまも変わらず、わたしのアイドルとして君臨し続けている。

わたしにとってのSMAPはこの際どうでもいい。
SMAPはもはやだれか個人の楽しみのレベルをはるかに超越し、いや、そのちいさな楽しみが積もり重なり、おおきな山のように育っている。

多くの人にとってSMAPは、あって当たり前、居て当然、という存在のような気がする。
芸能の枠を超えてSMAPがいることを前提にありとあらゆるメディアが動いているのではないだろうか。
当たり前の存在になってしまったら、いつしかその尊さを忘れてしまう。
すこしずつ、すこしずつ大きくなっていったSMAPの存在を当たり前と認識してしまっている今、わたしたち自身の感覚も麻痺していたのかもしれない。

今、SMAPの価値がありとあらゆる角度から見つめ直されている。
SMAPがなくなるということは、どういうことを意味するか。
SMAPとはどういう存在なのか。
SMAPがもたらした功績とはいかなるものか。
SMAPがいたからできたこと、SMAPがいなかったらなかったこと。
それぞれが忘れていた、麻痺していたSMAPへの思いが、一晩でぶわっと噴出して、泉のように湧き出ている。

ファンだけではなく多くのメディアが取り上げ、海を越え、人種を超えたその反響の大きさを知ることで、SMAPがいかに巨大なグループなのか、もはやそれは単なるアイドルではないことを改めて受け止めることができる。
その思いをそれぞれが発信し続ければ、すぐにでも大きな大きな花を咲かせることができるのではないか。
この騒動を逆手にとって、こんな茶番劇にSMAPを巻き込んでいることが、どれほど恥ずかしいことかを知らしめたい。
スーパースターは傷つけてはいけないと話してくださった影山貴彦(同志社女子大学情報メディア学科教授)さんの言うとおり、いま事務所がやっていることが、日本の宝を無下に傷つけていることだと気づかせたい。
歴史ある大手芸能事務所として、恥ずかしくない対応を取ってほしい。

きっとメンバーは誰ひとり、終わらせたいだなんて思ってる人はいない。
いままでずうっと見てきたから知ってる。分かってるもん。
なによりも大切にしてきたSMAPを終わらせないために、メンバーはみんな闘っているはず。
だからこそ、わたしたちにできることをやらねば。すこしでも力になりたい。
こんなこと、改まって書くことですらないけれど、SMAPはもう、単なるアイドルグループではない。
そういうところまで来ていたのだ。
一番知っているはずの人たちが、それに目をそらして感情的になっているだなんて、もはや全世界に向けて恥をさらしているとしか思えない。

目をそらさないで、私情をはさまないで、いまこそ国民の声を聞いてほしい。



世界に一つだけの花」の購買運動が広がっているようです。
これはつよぽんのときにも実行されて、その結果をメンバーもちゃんと認識していました。
何もできないことなんてない。
家にいたって何かできる。
普段の生活を送っていても、やれることはあります。
わたしもSMAPを守りたい。

世界に一つだけの花

世界に一つだけの花