smalogue

SMAPについてのあれこれを好きに書いたりするところ。

お久しぶりです。

仕事の繁忙期がピークをすこし過ぎ、やっとこうしてブログを書こうという気持ちになれました。こんにちは。

ここではある日を境に、騒動のことは触れたくないなと思っていましたし、もちろん今もその思いは変わりません。けれど、1ヶ月ほどネットから離れてみた結果、すこし感じたことがあったので今日はその話を。

 

約1ヶ月の間、twitterもろくに開かず(開いてもTLを遡ることもせず)、ネットニュースも見ない(というかそれどころじゃなかった)という生活を続けてみたところ、わりと調子がよかったような気がしています。結局のところ、目に見えていることからいろんなことを推測するしかできないわけで、なんかそういうことって、ものすごく労力がいることだったんだな、って改めて気づくというか。

こういう意見はおそらく賛否両論あるとは思うけれど、自分は一体何の、誰の言葉ならば信用できるのだろうか、ということをすごく考えました。メンバーの言葉なら信じられるか?いや、そうとも限らない。メンバーの言葉だから嘘だろうと思うこともあるし。だったら事務所の発表?それもない。

わたしは、自分の都合のいい筋書通りに事が進まなければ納得しないんですよね、たぶん。「おそらくこうだろう」というシナリオが自分のなかにあって、自分が思い描いたそれが形になって初めて、わたしは納得するんだと思います。

絶対そう、絶対ちがう、という論争はもはや机上の空論でしかない。ただ言えることは、悲しいけれど、あの日を境になにかが変わってしまったということ。それから、あの日以前に戻れないと知っていながら、あの日以前に記憶とともに戻れないならば、このもやもやが晴れることはきっとない。それがわたしがこの1ヶ月で思ったことでした。

いや、無理だって分かってます、そんなことは。都合のいい魔法もないし。道具もないし。神様じゃないし。

だけど、おそらく、わたしの気持ちというものは、あの日以前に戻ってはじめからなかったことにならない限り、晴れることはない気がします。

それこそ、笑っている彼らを見て安心した気持ちになってもそれはやっぱり100%の安心では…ないんだと思います。もちろんうれしいし、あぁ、笑ってるな、こういうSMAPが見たかったんだよ、って泣きそうになるし、前回のブログにも書いたけれど「明日へコンサート」の彼らの姿は本当にグッとくるものがありました。

ただ、どこかでなにかを邪推してしまっている自分がいることも本当です。どうしてもあの日の黒スーツに身を包んだ彼らの姿、顔、重苦しい空気、異質な絵面が頭をよぎってしまうんです、どうしても。それほどにあれはショックだった。

…だから、うんと、どうすればいいんだっけ、こういうときは。

そう考えて、何度目かの、「時間が解決する」という答えが頭をよぎった今日。

そうそう、今日はスマスマの20回目の誕生日なんだって。うれしいね。おめでとう。続けてくれてありがとう。終わらせなかったことも、感謝しています。

いつかたぶん「あのときはマジでびっくりしたよね。必死だったよね」とネタにできる日が来るだろうと信じて。

もう変な推測と予想と主観はとりあえず置いておこう、と。結局納得しないんだし。とまぁ、そういう話でした。

なんだかんだ言って、結局は気にしてしまうからこんなことを書いているんですけどね。

でもtwitterはちょっとしばらく、おやすみするかもしれません。